
1980年10月30日、宮崎県に生まれる。両親が好きでよく聴いていたカーペンターズなど、洋楽を中心に音楽の世界に魅了される。小学生までは歌が下手で、おばあちゃんに「どうしてお前はそんなに音痴なんだい?」と言われるほどであったが、純粋に歌うことが好きであった鬼束ちひろはその後も歌と触れ合い続け、中学以降からその歌唱力に頭角を現し始める。歌唱力が身に付くと同時に、彼女は作詞・作曲にも挑戦するようになっていた。1stアルバム「インソムニア」に収録されている「call」はこの時創られたもので、驚くことにそれが彼女の処女作であったというのだ。現在彼女が最も影響を受けたと言われるシンガーソングライターであるジュエルに触れたのも、丁度この頃であろう。
彼女がプロの世界に入るきっかけとなったのは、高校卒業前に受けたオーディション。当時、進学校に通いながらも大学進学を躊躇していた彼女であったが、オーディション合格を機に上京し、ボイストレーニングに励んだ。もちろん上京後も作詞・作曲は続け、東京に来てから半年間で創った曲はなんと60曲にものぼる。
そして2000年2月に「シャイン」でメジャーデビューを果たす。当時無名であった彼女だが、ザッピーなどの各音楽情報誌で既に”注目の新人アーティスト”として注目を浴びていた。そして、2枚目のシングル「月光」が、ドラマ「トリック」の主題歌に抜擢されたことも相まって、60万枚を超える大ヒットとなり、これにより一躍トップアーティストの仲間入りを果たした。その後も「Cage」「眩暈/edge」と立て続けにヒットを飛ばす。そして2001年3月に1stアルバム「インソムニア」が発売となり、念願のオリコン1位を獲得したのであった。
その後、5枚目のシングルとなる「infection/LITTLE BEAT RIFLE」をリリース。当時、同時多発テロによって揺れていた世界を象徴するかのような鋭い歌詞、斬新なメロディーで、鬼束ちひろの世界観がより一層強いものとなった。
そして数々のヒットを飛ばした彼女は2001年末、4thシングル「眩暈」で”日本レコード大賞:作詞賞”、そして1stアルバム「インソムニア」で”日本ゴールドディスク大賞:ロック・アルバム・オブ・ザ・イヤー”を獲得するなど、彼女の業績がより顕在化することとなった。
その後も、LOVEバラードである6thシングル「流星群」は「トリック2」の主題歌としてロングヒットを記録。そして「infection」「流星群」の2曲を収めた2ndアルバム「This Armor」をリリースし、前作同様大ヒットとなった。さらに、その9ヵ月後には3rdアルバム「Sugar High」をリリース。短期間のアルバムの連続リリースでファンもびっくり(笑)。 そんな中、ユーミンの「守ってあげたい」をカバーし、トリビュート・アルバム「Queen’s Fellows」の作成に参加するなど、多方面でも活躍。「守ってあげたい」が好きなファンは多いことでしょう(^^)
その後、休暇を挟み、1年3ヶ月ぶりのシングルとなる「Sign」が発売される。通算7枚目のシングル。ファンにとっては待ちに待った新曲となり、メディア露出も多くなってファンはひと安心。 続いて、ギターサウンドメインでピアノの「ピ」の字もない8thシングル「Beautiful Fighter」をリリースし、彼女の音楽の型を打ち破ったそのサウンドは、ファンだけでなく全国のリスナーにも衝撃を走らせることとなる。 さらに、なんとあの山口百恵さんの「いい日旅立ち」を、谷村新司さんが新たに詩を書き下ろし、音楽プロデューサーである羽毛田さんが編曲を手がけ、9thシングル「いい日旅立ち・西へ」が完成。各メディアでも頻繁に取り上げられる中、オリコン・チャート上位をキープし、その音楽性・歌唱力を再度世に知らしめる。 記念すべき10枚目のシングル「私とワルツを」は、再びドラマ「TRICK」の主題歌に抜擢され、チャートを賑わしたが、これと前後して声帯不調を理由に10月の全国ツアーが中止されるなど暗雲が立ち込める。
年が明け2004年になると、「4thアルバム」と「PVクリップ集」発売の噂が流れファンの間で話題となる。しかし、急に情報が途絶え、レコード店のWEBページや店頭情報でもこれらのリリース情報は何事もなかったかのように消えて言った。しかしその後すぐ「シングルBOX」なるものが発売されるという情報で賑わうこととなったが、時期的にも企画的にも”在庫処分”と思われるようなものであったため、ファンの間でも賛否両論が渦巻いた。さらに、所属事務所の公式WEBページで「『シングルBOX』は、あくまで販売元である東芝EMIが企画したものであり、鬼束ちひろ本人の意向による作品ではありません」とのメッセージが掲載されていたことから、「シングルBOX」発売をめぐって何らかのトラブルが発生した可能性が高いとも考えられる。
その後しばらくして、当時鬼束ちひろが所属していたメロディースターレコーズとのマネジメント契約終了を告げるニュースが5月末に流れる。Yahoo! Japan のトップページにも記事の見出しが出るほどの一大事。ファンの間にも緊張が走った。公式ページによると契約打ち切りは4月3日の時点で行なわれており、二ヶ月経過してからの発表にも疑問が浮かぶ。しかしながら、その後すぐにソニー・ミュージック・アーティスツとのマネジメント契約が決まりひと段落ついた。
その後しばらく情報が途絶えたが、9月20日に日比谷野外音楽堂で行なわれた「SWEET LOVE SHOWER 2004」にシークレット・ゲストとして突如姿を現す。しかし、ファンやマスコミを最も驚かせたのは”超ミニスカート、赤を基調としたド派手衣装”というロック・テイスト全開の風貌であった。そして10月に11枚目のシングル「育つ雑草」がリリースされ、新たなスタートを切ったかに見えたが、発売前日に体調不良のため”年内休養宣言”が出され、出演予定番組が次々にキャンセルされるなど、不幸な巡り合わせが続く。
12月に入り、自身初のベストアルバム「The Ultimate Collection」と今までのPVを全て集めたクリップ集「The Complete Clips」が東芝EMIから発売され、現在に至る。
まだまだ世間的には「月光」のイメージが先行する彼女であるが、今後も彼女が創り出す斬新かつ多彩な”歌”には眼を離せない。そしてまた、現在彼女が置かれている環境や直面している事態は、必ずや彼女の音楽性をさらに磨き上げ、今まで以上の音楽観を創造し私たちのもとへ届けてくれるに違いない。言葉では表現しきれない程苦しいかもしれないが、これを乗り越え、元気な姿を是非またファンをはじめ多くの人に見せて欲しいと心から願う。
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1974年アラスカ州に生まれ。95年に発表された1stアルバム『心のかけら』はアメリカだけで1000万枚を超えるビッグ・セールスを記録。97年のアメリカン・ミュージック・アウォードでは最優秀新人賞に輝く。
コネティカット州ニュー・ヘイヴンで1946年10月15日に生まれたリチャードと1950年3月2日に生まれたカレンの兄妹デュオ。全米No.1を記録したのは「遥かなる影」「トップ・オブ・ワールド」「プリーズ・ミスター・ポストマン」の3曲。
特定のアーティストに対する賛辞や尊敬の思いを込めた楽曲を集めたアルバム。
1981年、薬師丸ひろ子さん主演の映画“ねらわれた学園”の主題歌。1981年6月21日リリース。